セルジオ・コルブッチは、どの作品にも奇抜なアイディアを盛り込み、一筋縄では終らせてくれない曲者監督ですね。
一度でも使ったネタは使いたくないのか、最後までひねってひねってひねりまくり見る者を飽きさせません。
そして、彼の「ひねり道(どう)」の傍らにヒッソリと咲くマカロニウェスタンの仇花的傑作が本作です。
「続・荒野の用心棒」で超絶的ヒーローを絶望の底に落としても、何とか最後の大逆転でカタルシスを与えてくれたところまでは良かったですけど、
今回はもう一つひねっちゃった。
要はカタルシスの有無さえもコルブッチにとっては作劇バリエーションの一つに過ぎないということでしょうか?
この映画で彼は吹き荒ぶ氷原の真ん中に我々を取り残します。
負のカタルシスを持った少数派の活劇と言ったらいいでしょうか。
ヒーローものに対するコペルニクス的転回が見る者の顎を1メートル下に落下させます。
マイ・フェイバリット・ウェスタンのNO.1は間違いなくこの映画である。
キャスティングが異色である。J=L.トラティニャンとクラウス・キンスキー!!仏映画界を代表する名優と、ヘルツォーク映画には欠かせないアクの強い怪優(ナスターシャの親父とはとうてい思えない)とが狂演するという、こんな夢のキャスティングだけでも奇跡なのに、なんとウェスタンに出演していたなんて未だに信じがたい。そして音楽は勿論モリコーネ。素晴らしい。
トラティニャン演じるサイレンスという名の超凄腕の殺し屋が、とある山奥の小さな町を訪れる。そこでは、かつて自分の両親を殺した悪玉たちと超悪徳シェリフ(キンスキー)が幅を利かせていた。彼らを見つけた主人公は積年の恨みを晴らすべく、次々と復讐を果たしてゆくが・・・。こう書くと、いかにも陳腐な筋立てのように思われるかもしれないが、キャラが実に立っているので、他の凡百なリベンジものとは一線を画す。浜村淳ばりに詳細と結末を明かすことはできないが、観劇後のあのアンチ・カタルシスは今でも忘れることができない。
この作品がマカロニ・ウェスタンという括りにより隅に追いやられる不遇を残念に思う。また逆にB級映画、荒唐無稽というキーワードで飛びつくマニア・評論家にも違和感を感じる。(いい加減、「マイナーである」という単純な理由だけで狂喜乱舞するその態度をやめろ。)これは超一級の娯楽作(娯楽という言葉を使うのもためらわれる)なのである。